2012年9月11日火曜日

800年悠久のロマンの古道鎌倉街道

富山県祐延湖。
その時代鎌倉を基点に全国に7本の鎌倉街道が延びていた、その内の1っ本が鎌倉化粧坂切通しから富山まで通っている。ギョウセイ出版社より「アルプス越えの鎌倉街道」という本が出版されている。著者は白骨温泉在住の服部祐雄先生、氏は長野県師範学校(現信州大学教育学部)を卒業され県内の小中学校の校長を歴任された方で師範学校入学と同時に鎌倉街道発見に着手した人である。現在86歳。私も古道探しに一役買うことになる。とは言っても当初は負荷(ぼっか)として雇われの身であったが行ってみると何と悠久のロマン、この薬研堀(後記する)の素晴らしさに一気に引き込まれる、一度だけお付き合いするつもりで出掛けたが8年間もお付き合いする事となる。テント生活有り 重荷を背負う、ブッシュを切り開く、何故私が頼まれたか分かった。ここでは鎌倉から長野県までは略すが我が安曇村(現在松本市安曇)から富山までのコースを紹介します、安曇村橋場ー乗鞍高原ー安房峠ー岐阜県平湯ー双六渓谷に入りー山の村ー北の又岳ー富山県有峰湖ー谷を挟んだ二つの山を越え祐延湖ー東笠山ー富山市。本の題名通りまさしくアルプス越えの鎌倉街道である。今回我が家の常連さんであるd通山岳部の中の5名さんをこの祐延湖から東笠山山頂までご案内した。
祐延湖畔からの入り口。
この入り口を探しに来たのは15年位前の事であっただろうか、人間の(私の)記憶など当てにならない物は無い。入り口が私の記憶とは全然違う、お客さんには早い昼食をとって貰いながら入り口探し、ブッシュをかき分け探す事1時間弱。私も一気におにぎりを飲み込む、ロスタイム1時間。
100メートル位進むとこの通り素晴らしい薬研堀。
薬研とは昔薬草を粉にする道具、v字型の舟に薬草を入れ鉄輪で薬を研ぐ。v字型に掘り下げた道を薬研堀という。石畳、石段は熊野古道、鎌倉街道は薬研堀が特徴。鎌倉に近くなると掘りは人の背丈より深くなる、戦の時、人が見えない様にと考えられる。
何故必要の無い山の中に薬研堀が在るか先生には分からないようであるが私には山と言う地形からしてその必要性は分かっている。

なんとも素晴らしい。旅人の通っている姿が見えてくるような気がする。
東笠山に登り上がると眼下に富山平野。
探した道は間違いなく富山に辿り着く、紛れもなく鎌倉街道。
最初この景色を見たとき涙が出た。

山頂から登り始めた祐延湖を望む。
平野と名のつく所は確かに広い。
ここから下の写真は富山平野の全望?一部です。奥に見えるは日本海。



倒木により木の葉が溜まりだんだん埋まってしまうのか、そして姿、形もなくなってしまう。悲しい。
帰り道しつこく堀の写真を撮る。素晴らしいから。
有峰湖から雲の奥に薬師岳を望む。
有峰湖からの入り口。
冷夕谷遊歩道看板から入るが50メートル位で遊歩道は右折するその先が鎌倉街道、よく見ないと分からない。中でもここの薬研堀が一番美しいか。
帰り道飛越トンネルから飛騨側に少し下った道路左に熊の顔が見えた  と思ったら車の前をのこのこ横断、全員でカメラを出したが間に合わず。よく見るとまだこの藪の中で動いている、まだ動いている、よほど人が恋しかったのであろう。






この古道については後武田信玄がこの鎌倉街道を利用して飛騨攻めを行うが安房峠下、安房金剛地籍が難所であった為幾度となく飛騨攻めをする羽目になった。難所がゆえにここ乗鞍高原へも入ってくる事になる。信玄と乗鞍高原の係わりについては機会をみつけて詳しく紹介したいとおもいます。

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